自分に才能が無いと感じるあなたにちょっと元気が出る話。(『三太郎の日記』阿部次郎より)
高田瑞穂先生の『新釈現代文』を読んでいて、心に響く文章がありました。
勇気と元気をもらいましたね。自分には何にも出来ないんじゃないか…と思っていた今の自分に沁みました。
ちなみに古い時代の和歌山大学の入試問題だそうです。年度は不明。
出典が載っていなかったので調べてみると、阿部次郎という哲学者・作家の『三太郎の日記』という随筆のようです。
記事の最後に、原文も引用していますので良かったらそちらもご覧下さい!
以下、内容を簡単にまとめます。(『新釈現代文』を参考にしています)
難しいので超かみ砕きました
天から与えられたものは変えられないんだから気にするな
まず筆者は、
「何を与えるか」=神様の問題=運命
「与えられたものをいかに発見・実現するか」=人間の問題
だと説明します。
生まれつき天から与えられた性質(稟性)は、人間の力ではどうしようもできない。
天賦の才とか言いますね。これが、何を与えるかは「神様の問題」ということ。
じゃあ、その上で人間は何を頑張ったらいいのか。天から与えられた才能が無いからと諦めるのか。
筆者は言うんです。天から与えられたものを、どのように発見して、どのように実現していくか、それが人間の問題(=人間が頑張らなきゃいけないこと)ですよと。
天から与えられたものは、一人ひとり違います。誰一人、同じ人間なんていません。
もちろん、持って生まれたものの優劣はあるでしょう。それは認めざるを得ません。
だって私より、あの子の方が美人だし、運動もできるし、歌もうまい。
それは仕方無いんです。神様の仕事だから。
人間であれば皆共通すること
だけど、そんな風に一人ひとり違う人間には、全員にとって変わらないものがあります。
それは一人ひとりにとっての人生は、天から与えられたものを一生懸命実現させていく、笑いあり涙ありの試練だということ。
これに関しては、才能の優劣は関係ないです。試練の人生は一人ひとりにあります。だから、人間をそういう風に見たら皆一緒だね(^-^)って視点を持とうね。と筆者は述べているのだと思います。そういう点で人間は平等。みんな仲間。
この視点で見れば、人間の評価軸は才能の優劣ではなく、どれほど誠実に、与えられたものを実現しようと努力したか、になります。
比較する以上、上下は生まれてしまうのですが、「誠実さ」は自分が誠実であろうとすれば手に入れられます。それが天賦の才とは一線を画します。
逆に、人間を才能の優劣で捉える見方から逃れられないと、筆者の言う「永遠に呪われた者」になります。(言い回しが怖い。)
だっていつまでも隣の芝生は青いし、上には上がいるから。
そのピラミッドの頂点のたった一人だけが、筆者の言う「祝福された者」です。
そして、そういう評価軸でしか人間を見ることができないと、驕慢で、虚飾と、絶望という良くない3つの態度が生まれてきます。
①驕慢
自分は天才だ、とおごりたかぶって相手を馬鹿にしてしまう
②虚飾
自信の無さをごまかすために、自分は天才だとひけらかしてうわべだけ取り繕う
③絶望
周りの人天才過ぎて自分絶対天才にはなれないやん。。。絶望。。。
だから、そういう人は、人間は人生という試練を持つ点でみな平等、評価軸を「誠実さ」におく考え方に気付いてくださいね。
ざっとこういうようなことを筆者は述べています。
他人との比較ではなくて自分に目を向ける
人との才能を比べてしまうと、良くない態度③の「絶望」に陥ってネガティブになってしまいがちです。
だけどそういう見方ではなくて、辛くてもどれだけ誠実に人生を走っていくか。
どれだけ真剣に、目の前の苦労を乗り越えていくか。
他人の才能と比べるのは無意味で、それよりも、自分の持ってるものをどんな風に活かそうか?という点で誠実に努力を積み重ねていけばいいんだなと思いました。
もちろん、自分の才能の活かし方を見つけるのに苦労するのですが、その方向性の努力は間違っていないよ、という道しるべを与えられた気がしました。
青空文庫で原文読めます
幸いにも、青空文庫に掲載があったので原文も引用します。
哲学者の文章で、しかも古い(昭和25年発表)ので、ややとっつきにくいかもです。
興味がある方は、ぜひチャレンジしてください。
最後に
いつも読んで感動しますが、人間の本質を捉えているような思想は、本当に古びない。
こういう作品が、古典として残っていくのでしょうね。